少し前の、フィギュアスケートの羽生結弦選手の発言が気になっていました。
北京オリンピックの競技を終え、4位という結果が出た直後のインタビューの回答です。
「正直言っちゃうと努力って報われないなって思いました。
どんなに、どんなにいろんなことを積んできても、どんなに正しいことをやってきても、
報われない時は報われないんだなって。」今これを聞いて「努力が報われるって、何だろう?」と思いました。
私から見たら、羽生選手はものすごい人です。
今回のオリンピックで4位という結果がそもそもすごいですし、
前回、前々回のオリンピックで2連覇したのもすごいです。
リンクの外でファンや報道関係者に接する態度も丁寧だと聞きます。
今回のオリンピックで目標は達成できなかったにしても、
これまでの努力は確実に実を結んでいるし、
これからの人生の助けになると思います。
でも、本人は「努力って報われない」と言う。
私がどれだけ言葉を尽くして
4位でも立派だ、すごい演技だった、大勢の人が感動した、
等と言っても本人の気持ちは変わらないでしょう。
努力が報われるって、何だろう?
私なりに考えて、ある程度まとまりました。
ポイントは、「主観/客観」と「過程/結果」という2つの分け方です。
図にするとこうです。
まず今回の結果を客観的にいうと、
【客観 過程】
羽生選手は色々なことをした
【客観 結果】
羽生選手がオリンピックで4位になった
「色々なことをした」なんやねん! と思う方もいらっしゃるでしょうが、
「頑張った」とか「オリンピック3連覇に向けて」とかは全部主観なので、客観的に書くとこうなりました。
その「色々」には、練習はもちろん、食事管理や体調管理や、表現力を豊かにするための活動など、
本当に沢山のことが含まれていると思います。
時には、ストレス発散のために、誰も見ていないところで暴れていたかもしれませんが、それも含めて「色々」です。
その「色々」を、「努力した」と考えるかどうかは、本人の主観です。
そして、その「色々な」ことを、本人はインタビューでこう表現しています。
【主観 過程】
一生懸命頑張った
これ以上ないくらい頑張った
いろんなことを積んできた
正しいことをやってきた
そして、こうなります。
【主観 結果】
報われなかった
こう考えると、羽生選手が「報われなかった」と言ったことに対して
私が衝撃を受けた理由が解ります。
なぜなら、私が思っていることは全て「第三者の主観」による「評価」だからです。
はい、ここで「主観」「客観」に続く第3のカテゴリーの登場です。
【第三者の主観 評価】
報われたよ!
すごかった!
感動した!
無駄じゃない!
第三者がどのように評価しようと、羽生選手の主観とは関係ありません。
羽生選手と第三者、考えていることが違うのは当たり前です。
努力が報われたか報われなかったか、それを決めるのは当事者である羽生選手だけなのです。
羽生選手本人が「努力が報われなかった」と思ったのなら、報われなかったのです。
こうやって整理してみると、当たり前ですね。
しかも、「努力が報われるって何だろう?」という最初の疑問には答えてない。
でも、私としてはあのインタビューを聞いたときに受けた衝撃の理由がはっきりして、気持ちがすっきりしました。
ほんと、今日書いたことは当たり前のことなんですけどね。
でも、これはしっかり意識しておかないといけないと思います。
子育てにおいては特に。
それについては、長くなるのでまた別で書こうと思います。